
大山道とは
大山寺に続く道であり、博労が牛馬とともに歩いた道であり、縁者を偲び、その霊を祀るために歩いた道であり、廻国行者達が遍歴した道でした。
そして、美作、備前、備中、備後、出雲、因幡の各方面へと続いていた。「横手道」「溝口道」「川床道」「尾高道」「坊領道」がそれでした。
横手道とは
岡山県真庭郡川上村延助から内海峠を越えて下蚊屋、御机、鍵掛峠を経て文珠堂に至り、標高800m前後を大山西麓をほぼ水平に南北に進んで大山寺境内へと通ずる古道であり、横方向(水平)に進むことから、この名がついたと言われています。
この道は、途中、小柳分れや溝口分れにおいて、備前・備中方面から続く日野往来や出雲街道とも合流しており、山陽方面からの主要道であり、近世の大山寺と京都や比叡山を結んだ公用の道でもありました。
道の概要
延助から大山寺まで、総延長約20kmの内、往時の状況をよく留めるのは、大山寺から小柳分れまでの約3.5kmであり、「小鳥の道」として散策によく利用されています。道は、標高約800〜900mのブナやミズナラの中の平坦な道で、道脇には一丁地蔵が立ち並び、自然と歴史の両方を楽しむことができます。
ここでは、大山寺から桝水スキー場までの約2.8kmの区間を紹介します。
コースタイム
大山寺(30分)溝口分れ(30分)桝水スキー場
その他
マイカーならば、大山寺に車を置き、帰路は桝水高原から大山寺まで大山ループバスが出ている(土・日曜日のみ)ので、それを利用すると便利です。なお、小柳分れまで歩いても、大山環状道路をたどって桝水高原まで戻ることができます(徒歩20分)。
番所跡
牛馬市が盛んな頃、日野、備中、美作方面からやってきた牛馬に鑑札を渡したところ。
炭焼小屋跡
藪の中には、石組みの丸い凹みが多くあります。これは炭焼小屋の基礎と考えられます。往時の人々の生業を窺い知ることができます。
桝水の名の由来となった真清水
往時、働く農夫や旅人達は必ずここで休んで、冷たい水で疲れを癒しました。
享保五年(1720年)、美作の法印宗真が、この真清水を石で囲み枡形に整え、石に毛彫り地蔵を彫って各夜四八日の供養を行い衆生への慈悲を祈願しました。このことがあってから、「桝水さん」と呼ばれるようになり、毎年7月24日に祭りが行われています。
地蔵信仰の寺である大山寺には多くの地蔵像があるが、毛彫り地蔵は大変珍しいです。
スキー場には、ススキの穂があたり一面に揺れていました。もう、あと一ヶ月もすれば、白くなるんだろうな・・・。秋の気配を感じます。
恋おみくじ
恋人の聖地だそうです。恋人と一緒に大山寺から歩いて、ここにゴールしたら、御利益間違いなし!?
桝水高原スキー場からの展望
桝水高原スキー場上部の展望台
林の中から急に視界が開けます。ベンチもあり、景色を眺めてゆっくりと休むことができます。
雰囲気は最高です。
溝口分れ
大山環状線との合流点には、「桝水分れの道標」と呼ばれる道標が建っています。この道標には、「天明八年(1788年)、右 みぞ口、二ぶ道、左 えび并みづくえ道」と彫られています。
ここが、コース中の中間点になります。
牛馬の水飲み場跡
石で作られた水槽があります。牛馬市が盛んな頃には、ここで牛馬を休ませたことでしょう。
大山ループバスの停留場
ここがコースの終着点になります。土・日曜日なら、ここから大山寺行きのバスが出ているので、それを利用して帰るのもいいでしょう。
三輪平太の墓
佐陀川に架かる横手橋を渡ったところにあります。
これは、文化二年(1805年)、大智明権現社(現在の大神山神社奥ノ宮)再建の際、京都の宮大工・三輪平太が棟梁を勤めました。それを妬んだ地元の大工達は、そこで使う柱を短く切ってしまい、平太はやむなくそれを使って建てることになりました(拝殿の天井が廊下の天井よりも低いのはそのためであると言われています)。そのことに責任を感じた平太は、建物の完成を見ることなく、この地で自害しました。人々はそれを憐れみ、この地に墓を建てました。
ここには、大山からの冷たい湧き水が出ているので、出発の際には、汲んでいこう!
木の目山王(地蔵)
大山寺へ入る四方の大山道沿いには、それぞれ山王が祀られています。「木ノ目山王」(横手道)、「岩ノ目山王」(尾高道)、「剱ノ目山王」(坊領道)、「動ノ目山王」(川床道)がそれであり、大山寺境内の入口を守護しました。
木の目山王は、木の目地蔵とも呼ばれ、山陽方面から来る人々を見守っていました。
台座には文政庚辰(1820年)、備中窪屋郡中嶌村(今の倉敷市あたり)、三嶌改吉の銘が刻まれています。これは、富裕な大山寺の旦那と考えられます。
石の大鳥居
大山寺境内の西端に位置し、その結界を表しています。この箇所には、他にも木の目山王や番所がおかれていました。
美作や備中方面へは、ここが出発点になりました。
石柱には、嘉永七年(1854年)に造立され、願主は、洞明院(大山寺西明院谷)の禅信、施主は日野郡の富豪・近藤平右衛門、梅林喜平治の名が刻まれています。

一町地蔵
横手道の傍らには、一町地蔵が立ち並んでいます。一町とは60間であり、約109mです。コース中には、10体前後が現存しています。地蔵に彫られた銘文には、「雲州能儀郡(十番・安来市のあたり)」、「十一番・備中千屋村(新見千屋のあたり)」が見られ、その横には人名が彫られています。これらは、地蔵を寄進した人々であり、大山寺の旦那であったと考えられます。
各地蔵は、それぞれに表情が異なり、石質もいろいろあります。それらを鑑賞しながら歩くのも、横手道の魅力です。



















