


1. 御来屋駅(みくりやえき) 明治35年11月1日に、鳥取県ではじめて鉄道が開通。このときの開通区間が、物資の陸揚げ地である境港から、陸軍軍馬補充部を近くに持つ御来屋間でした。御来屋駅は、その当時の駅舎が現存しており、山陰鉄道発祥当時の面影を色濃く残す、山陰最古の駅。平成14年には、山陰鉄道発祥100周年を記念して旧駅舎を改修しました。
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2.お腰掛けの岩(おこしかけのいわ) 元弘3(1333)年に、隠岐の島を脱出された後醍醐天皇が、無事に名和湊(現在の御来屋港)に到着された際、しばらくの間お腰掛けになった岩と伝えられています。30年ほど前までは海の中にありましたが、漁港の改修により、そのままの位置で海面から1.4m持ち上げられ、現在では陸の上に位置しています。 |
3.元弘帝御着船所の碑(げんこうていごちゃくせんじょのひ) お腰掛けの岩のすぐ南に存在。後醍醐天皇が御来屋に上陸されたときに、しばらく天皇をかくまった家に対して、後に鳥取藩がその功を賞して碑を建てたとされています。 |
4.住吉神社(すみよしじんじゃ) 摂津の国にある官幣大社・住吉大社の分霊をまつってあります。後醍醐天皇が隠岐の島から御来屋に上陸した際、コチラに奉幣したという伝説があります。隔年の11月3日は、住吉船曳神事(すみよしふなひきしんじ)で賑わいます。
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5.名和公園(なわこうえん) 園内には、数百本の桜の木が植えられ、4月の開花時期になると、後方にそびえる大山や船上山にゆったりとたなびく霞に連なり、その景観は桜の名所として古くから定評があります。また、園内からは真っ青な日本海のパノラマを一望。ゴールデンウイーク頃には、つつじの名所としても多くのレジャー客で賑わいます。
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6.名和神社 後醍醐天皇を隠岐の島からお迎えし、一族郎党を率いて船上山に立てこもり、王事に奮戦した南朝の忠臣・名和長年公をはじめ、一族42人の英魂をまつった元別格官幣社。今の名和神社は明治16年、旧社(今の氏殿神社)をそのままに新しく建てたもの。また、この地は名和長年の倉の跡との言い伝えがあり、現在でも、社殿の裏から焼き米が出てくると言われています。
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7.名和公屋敷跡(なわこうやしきあと) 名和氏2代の館の跡であったと伝えられています。中世の「武家造り」で、ここは当時、館の客間があった場所とも言われています。 |
8.長綱寺(ちょうこうじ) 名和公一族の菩提寺で、後醍醐天皇・名和長年・長年の長男の義高・三男の高光の位牌がまつってあります。寺紋は帆掛け船で、後醍醐天皇から名和氏に賜ったものです。 |
9.名和公一族郎党の墓(なわこういちぞくろうとうのはか) 名和長年の菩提寺である長綱寺の裏山の山頂にあります。大小200基ほどの五輪塔があり、これらは長年が船上山で鎌倉幕府と戦ったときに戦死した一族をまつったもの、あるいは館に残った一族の女性や子どもたちの墓とも伝えられています。 |
10.的石(まといし) 縦170センチメートル、横150センチメートルの大きな石。弓の名手であった名和長年が、弓矢の稽古をするときに的にした石と伝えられています。また、雨が降りやんだ後、太陽が照り出すと、石の表面に白く二重の輪が見えるという話も。 |
11.氏殿神社(うじどのじんじゃ) 名和神社の旧社殿。もとは名和長年の館の跡といわれ、地元の人が「氏の殿」とまつっていましたが、江戸時代、鳥取藩主池田光仲公の命令で、「氏殿権現」としてまつられるようになりました。 |
12.三人五輪(さんにんごりん) 五輪塔は5基あり、向かって左から名和長年。長男の義高、三男の高光の首が埋められていると伝えられています。 |
13.伯耆往来と大山道分岐(ほうきおうらいとだいせんみちぶんき) 「左大山道」の道標が残っています。まさに霊峰として讃えられた大山へ続く大山道への分岐点です。 |
14.旧山陰道 旧山陰道に沿って、昔ながらの情緒あふれる町並みが続きます。太平記のドラマが息づく時代へとタイムトリップするかのよう・・・。 |
15.伯耆往来(ほうきおうらい) 別名「殿様道」とも言われる旧山陰道。ココに華やかな時代があったのでしょうね。当時の様子がしのばれます。 |
16.木料海岸(きりょうかいがん) 夏には多くの海水浴客でにぎわいます。また、砂浜一面にハマヒルガオの群生があり、6月にはかわいらしい花を咲かせます。木料展望所も設置され、昼食や海岸での一服に最適のポイントです。(トイレ有り) |
17.下坪海岸(したつぼかいがん) 潮のかおりと静かな潮騒の中ゆったりと歩ける海岸ロード。砂浜をあるいてみるのもいいかも。 |
18.西坪海岸展望所(にしつぼかいがんてんぼうしょ) はるか西方に島根半島が望め、天気の良い日には島根半島も見えます。 |