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モォーと知りたい博労座

鳥取と牛馬繁栄の歴史はココ大山にあった


大山寺と和牛との関わり
牛馬市に隠された発展の歴史


大山町の歴史のシンボル、「大山寺」。実はこの一帯、過去、牛との関わりが深く、この辺りでは最大規模の牛馬市が開かれるなど、繁栄の歴史を探るに貴重な様々な逸話、名所が残されているのです。今回は、そのさわりだけをちょこっとご紹介。
そのルーツ、歴史を“モォ〜”と知れば、このイベント、また大山寺の楽しみ方も変わってくるはず。
ではでは、その歴史、とくとご覧あれ〜〜。

中国地区最大の牛馬市が開催されていた「博労座」

今から約230年前、徳川八代将軍・吉宗の頃、日野郡大河原村の山奉行吉川右平太という人が、大山の祭日を期して牛馬市を開いたのが、大山牛馬市の起源とされています。以来ますます盛んとなり、その最盛期である明治36年頃には年5回もの市が開催されるなど、この地域における和牛発展の中心として栄えてきたのが大山寺、また大山登山への玄関口となる「博労座」。
その当時売買された頭数は1万頭にも及んだと言われています。


牛に願いを・・・ 大山寺に伝わる願い事成就の像

西暦718年に開基した大山寺。
この場所にも、牛との関わりを示すものが残されているのをご存じですか?
本堂近くにある「宝牛(たからうし)」。
これは牛の霊を慰めるために鼻ぐりの銅をもって鋳造し、岡山県岡山市の宗教団体「福田海」より寄進された像で、別名を“撫牛”ともいい、一つの願いだけを心に念じてこの牛を撫でると願いを叶えてもらえるという縁起のよい牛。なんと、縁結びスポットともいうべき名所がこんな場所に隠されていたのです。

その周辺には、その規模を裏付ける名所も現存

ヒロリンそのはかにも、博労座近くにある「番所地蔵」は、牛馬市が盛んであった頃、牛馬の鑑札を渡す番所がこの場所にあったことから、信者の一人が寄進したものとされ、また横手道から入る旧参道沿いにある山王堂の跡地付近には、日野、備中、美作から牛馬の鑑札を渡していた「番所跡」の鳥居が現存するなど、今なお、その繁栄の歴史を証拠づける史跡が数多く残されています。