大山恵みの里公社

大山の恵まれた風土の下に産まれる、作り手のこだわりと温もりがぎゅっと詰まった安心・安全の地元産 。 大山恵みの里公社は地元の思いと愛情を繋ぎます。

【花壇苗】花卉部会(かきぶかい)の皆さん

取材日:2015年11月

花卉部会(かきぶかい)の皆さん

まるで花のように色も個性も豊か!
苗に懸ける男たちの信念と行動とは。

おうちに手軽にお花を取り入れることができる花壇苗。季節によって並ぶ商品が異なるので、一年中私たちを楽しませてくれます。実はここ大山町は、花壇苗の一大産地。恵みの里でも「花卉(かき)部会」が結成され、約30人の部員が丹精込めて栽培しています。よく晴れた秋の午後、部員の方々に苗への思い、こだわりなどを伺いました。まずは、会長の角田さんの農園へ。

苗と会話をしながらの水やり。
花が送ってくるサインは決して見逃さない。

角田さんのパンジーフリル
山陰最古の駅舎が残る御来屋駅のすぐ裏手に角田さんの農園は広がっていました。陽光を受けて光るハウスの中には色とりどりの花が整然と並んでいます。育てている花苗は四季によって異なりますが合計で約50種野菜苗は約200種。苗に水やりをする角田さんの表情を拝見すると柔和そのもの。それもそのはず、「苗と話をしながら水やりをしている感覚があります」との答えが返ってきたのです。

「花が発するサインを見逃さないようにしています。色やハリ、徒長していないかなど様々な点を周りの苗と比べたりしながらチェックしています。順調に育っているときは苗に勢いがあるんですね。ただ、それも全部土次第だと私は思っています」。

柔和な表情の中に鋭さもあったのは、発育をつぶさに確認しているから。「全部土次第」とまで言い切る角田さんの土へのこだわりは並ではありません。現在使用しているのは真砂土、ピートモス、パーライトなど9種を独自に配合したブレンド土。業者に試供品を作ってもらい、納得できるものに仕上がるまで何度も検討を重ねるそうです。業者も固定せず、現在で3社目なのだとか。

「いい土というのは水を撒くとすーっと落ちるんです。団粒性や肥料がきちんと混ざっているのかといった均質性も大事。いい土はザクザクしますが、悪いとベチャっとします。これはもう感覚ですね」。

「盆も正月もありませんよ」と笑う角田さんは、容赦のない紫外線と戦いながら毎日休むことなく花と向き合います。続けて案内してくれた国道9号線から少し入った直売所の隣には、ガラス製のハウスがありました。実はこのハウス、角田さんが現在の仕事を始めるきっかけでした。

台風で実家のビニールハウスが全て倒壊。
廃業の危機を家族が一丸となって回避した。

ビニールハウス
元々、ご両親はカボチャやトマトなど野菜の採種をしていました。実家にいた頃、角田さんも野菜の交配や移植のお手伝いをしていたそうです。一方で、角田さんの頭の中では「自分は将来、ネクタイを締めて仕事がしたい」という思いが膨らみ、結果、家業を継ぐことなく大阪の製薬会社に入りました。念願のスーツに身を包んで販売や生産管理の仕事に邁進。その後、鳥取にUターンし車の営業の仕事をしていた角田さんに転機が訪れます。台風で実家のビニールハウスが倒壊してしまったのです。

「両親は仕事をやめるしかないと意気消沈していましたので、少しでも力になれればと31歳で脱サラし、家を手伝うことにしました」。角田さんとご両親は一丸となってハウスの再建から始めました。「もう二度と台風で倒れないように」、そんな願いを込めてガラス製の頑丈なハウスが完成したのです。再建の象徴であるガラス屋根の下、採種はご両親、苗作りは角田さんと役割分担をしながらツノダ園芸は再開の道を歩み始めました。

ご両親に学びながら苗作りを始めた角田さん、最初は右も左もわからなかったそうですが、真摯に苗と向き合い続けることで様々なことを学んだと言います。「もちろん花ごとに育て方は違いますし、同じパンジーでも黄色いのと青いのとでは育て方が違うんです。水をやりながら観察をして細かな違いを覚えていきましたね」。

最近、ガラスのハウスが少し雨漏りをするように。「もう老朽化しているんでね」と苦笑いする角田さんでしたが、真新しかったハウスが古くなるほどの間、仕事をし続けてきたことへの誇りも垣間見えたような気がしました。


お客さんからの感謝の気持ちをエネルギーに。
新しい花の文化を日本に作りたい!

角田さんと息子さん
長く苗作りをしていると、大変なこともありますが、それ以上に嬉しいことも。角田さんが作った苗を自宅で育てた方からお手紙をもらうこともあるそうです。

「最近はふるさと納税のお礼品としてうちの苗を送った際、受け取った方から“大変株もしっかりしていてよかった。ありがとうございます”という感謝のお便りをいただきました。大山町を応援してくださる方に喜んでもらえて、本当に嬉しかったですね」。

「お客さんの手に渡った後のことを考えた苗作り」をモットーにしている角田さんには大きな夢があります。「敬老の日に花を贈る習慣を作りたいと思っています」。その心とは?「例えば、バレンタインデーにはチョコレートを、母の日にはカーネーションを贈る習慣があります。でも、敬老の日には特にそういう文化がないので、贈る相手のイメージに合う花を渡す文化ができればいいなと思っているんです」。

敬老の日、言われてみると確かにそうです。思っているだけではなく、実際に動いているのが角田さんのすごいところ。現在、鳥取県苗物・鉢物生産研究会の役員を務めているため、県の職員の方々と手を携えて実現に向けて活動を始めているそうです。今後の角田さんから目が離せません。

生産主要品目

スカビオサ、レウィシア、ゼラニウム、ポットカーネーション、サイネリア、ヒポエステス、レースラベンダー
初夏日日草、アンゲロニア、ペンタス
パンジー、ビオラ、フリルパンジー、キンギョソウ、アリッサム、姫コスモス、葉牡丹、ガーデンシクラメン、プリムラジュリアン


次に訪れたのは、浜田巌さんの農園。こちらのハウスでは、意外な音楽が流れていました。



大好きなアイドルグループを、
自分なりの形で応援したい!

浜田さんオリジナル商品 モノノフ
浜田さんの農園があるのは上大山という集落。小高い丘からは日本海が一望できました。一年を通して約30〜40種の花壇苗を生産、その他に野菜苗や芝生も育てています。

さて、こちらで流れているのは、なんと女性アイドルの「ももいろクローバーZ」の曲。数年前、彼女たちが米子でライブを開催したことを伝えるニュースでたまたま知ってから大ファンになったとか。「最初は戦隊モノかと思ったんです(笑)。調べていくうちに5人のメンバー全員に個性があって、挑戦を続ける生き様にも心打たれ、すっかりのめり込んでしまいました」。そう浜田さんは笑顔で語ります。

それだけならよくある話。浜田さんは彼女たちを自分なりに応援できないか?と考え、行動に移します。ももくろのメンバー5人に緑、ピンク、赤、黄色、紫のテーマカラーが割り当てられていることに着目した浜田さん、その5色を備えたビオラの苗を10万本の中から2本だけ見つけ出しました。そして、丁寧に採種し試行錯誤を経て商品化にこぎつけたのです。名前はももくろファンを意味する「モノノフ」。浜田さんの思いがぎっしり詰まった看板商品になりました。

秋から冬にかけて作っている「モノノフ」の生産量は限定1万5千ポット。これはビオラ全体のおよそ3分の1を占めるとのこと。完全オリジナルの「モノノフ」作りをきっかけに、「もっと自分のところにしかない商品を作りたい」という目標ができたそうです。

少品目・大量生産から少量多品目路線へ。
悩んだ末に下した大きな決断。

パンジー・ビニールハウス
元々葉タバコを作っていた浜田さんが花壇苗の栽培に切り替えたのは約30年前。当初は「種を蒔けば勝手に育つだろう」と楽観的に考えていましたが当然そんなはずもなく、育つのは不恰好な花ばかり。市場に出回っている美しい花に「どうすれば近付けるのか?」が最初のうちは大きな目標だったと浜田さんは言います。

インターネットもない時代、本を買って独学で学ぶ日々。その本も生産者向けのものではなく、家庭用のものでした。右往左往を続ける浜田さんに追い風が吹きます。バブルと同時期に巻き起こったガーデニングブームです。洋風の花壇も増え、消費量は右肩上がりに増えました。「当時は作れば作っただけ売れました」。ところがバブルがはじけ、ブームも落ち着いてしまいます。時代に翻弄されながら生産を続けていた浜田さんでしたが、10年ほど前に大きな決断をすることに。

「色々なやり方があっていいと思いますが、私は少品目・大量生産方式をやめようと思いました。規模を修正し、大量少品目から少量多品目の路線でやっていこうと決めたんです」。同じものを大量に作るよりも、色々な顔を持つ商品を丁寧に作っていきたい。最初に紹介した「モノノフ」も、この決断があったからこそ生まれたのです。

「毎年1年生の気持ち」常に初心で。
息子に伝えたいのは誠実なモノ作り。

浜田さん
浜田さんの一日は、風向きと天候のチェックをするところから始まります。天気はもちろん、農薬や水を散布する際には風の強さや風向きも重要なのです。30年間生産に携わっているにもかかわらず、浜田さんは常に初心で仕事をしていると言います。

「いまだに何かしらの失敗を重ねています。気候はその年によって違うし、全てがうまくいくことなんてないんです。毎年1年生の気持ちで育てていますね」。謙虚な姿勢で花と向き合っている姿が印象的でした。

直売所でお客さんと話すのが大好きな浜田さんは、お客さん相手にも謙虚な姿勢を貫きます。話を徹底して聞くことを心掛けているそうです。「最初は自分からお声掛けすることが多いのですが、とにかくヒヤリングをしてどんな情報を欲しているのかを理解します。こちらの思いを一方的に伝えて、商品をただ売ればいいわけではありません。気持ちよく買って欲しいんです」。

そんな浜田さんは現在、息子の翔太さんと二人三脚で仕事中。角田さんの場合と同じように、翔太さんが手伝うようになったきっかけは大雪でハウスに被害が出たことでした。以来、家業を継ぐ道を歩き出した息子さんに伝えたいこととは何なのでしょうか。浜田さんに聞いてみると、「いいものを作る。誠実にモノづくりをする。これしかないと思っています」。という答えが返ってきました。

続いて訪れたのは、種田正博さんの農園。種田さんを語るうえで「遊び」というキーワードは外せないように思いました。


自然の恵みを最大限に活かしながら、
可能なところはコントロール。

種田さん自慢のバラ園
花壇苗30〜40種に加えてブロッコリーを生産、現在はトマトスイカも試験的に作っているという種田さん。花作りは苦労の連続だと言います。「花は消費の波が激しいので、生産量を調整するのが非常に難しいですね。それとやはり天候に左右されます。同じハウスの中でも位置によって出来が変わってくるほど花って繊細なんです」。

自然の恵みをこよなく愛する種田さん、スプリンクラーで人工的に水を撒くより雨の方が断然いいそうです。「雨は全体を均一に濡らしてくれますからね。3日に1回定期的に雨が降ってくれるのが一番の理想なんですけど、自然はこちらの思うようにはなってくれません。だから楽しいと思っています」。

自然相手だからと言って、任せっきりでは商機を逸することも。自分でコントロールできるところはコントロールし、毎年質の高い商品を安定して出荷できるような工夫も施していました。「今、広島の土と新潟の土を混ぜたものを使用しています。これは土に何らかの異変があった際、全部が駄目になるのを防ぐためです。リスクの分散も考えて育てていますね」。

一枚の小さな写真がきっかけで転身。
四十路を過ぎて修行からのスタート。

薔薇
ビニールハウス施設もあるものの、空の下にそのまま置いて育てても何ら問題がないことに気付いたのは、台風で一部のハウスに被害が出たときのことでした。「最初は残念な気持ちでしたが、怪我の功名と言うんでしょうか、花ってハウスでなくても立派に育つことがわかりました」。

泰然自若とした様子で自然と付き合う種田さんが生産者になって約18年。以前は縫製会社で工場長を勤めていたのですが、不意に「緑っていいな」と思って農業を始めることを考えだしたと言います。農家の長男で地方暮らしをずっと続けていたからこそ、田舎や自然の素晴らしさを再認識するまでには時間が必要だったのかもしれません。種田さんを後押ししたのは一枚の写真でした。

「ある日、何気なく雑誌をめくっていたら緑があしらわれた、いい感じのティーショップの写真が目に入ったんです。妙に惹かれましてね、その写真は切り抜いて今も持っています」。一枚の写真に導かれるように農の世界に身を移した種田さん。知り合いの生産者の元を訪れ、「何でもいいので手伝わせてください!」と修行からのスタート。奥様からは就農を反対されたそうです。

持ち前の旺盛な好奇心でノウハウを吸収していった種田さん、実家の土地で本格的に生産を始めました。四十路を過ぎての就農。悲壮感は全くなかったと言います。むしろ、誰よりも楽しめる自信があったとか。そこには彼の人生観が垣間見えます。


遊びの達人はまるで遊ぶように仕事をする。
最終的には生きることを遊びにしたい。

種田さん
取材で種田さんの元を訪れた際、青いバイクを乗りこなしていたのが印象的でした。元々モトクロスハングライダー、ヨット、スノボーなど遊びには力を入れていたそう。土が置かれたハウスの中にはなんと円形のスケボー場も。取材中、軽やかにスケボーで滑る姿を披露してくれました。実は種田さん、遊びの達人だったのです。

「遊びってまずは単純に“やってみたい”から始まりますよね。僕はそれが一番大事だと思っています。最初からガチガチに考えたり堅くなるのではなく、ゆるく始めてずーっと続ければいいんです。できないことは後から足せばいいだけです」。こういう信念があったからこそ、軽やかに農業を始められたのでしょう。

現在、ある夢を描いていると言います。「少し前からバラの庭を作っているんです。将来的にはティーショップも併設して人が集まるスペースにしたいんです。バラ園作りも店作りも遊びと全く同じで“やってみたい”からやっているんです」。綺麗に青くペイントされたウッドフェンスも、楽しみながらDIYで作ったそう。「僕は遊ぶために生きているんですが、究極的には生きることを遊びにしたいと思ってます。今後はバラの庭に似合う花壇苗を作りたいですね」。そう目を細める種田さんでした。

最後にお邪魔したのは、タバコ農家から転身した三澤真琴さんの農園です。

理想は凛と野に咲く花。
できるだけ自然に近い苗を育てたい!

三澤さん
北に日本海、南に大山。どちらも綺麗に見える、まさに大山町の縮図のようなロケーションでビンカ、ペチュニア、マリーゴールドなど約50種類の苗を大規模に扱っている三澤さん。広大な敷地に整然と並べられた、何列もの多彩な花々の近くにはお手伝いのスタッフさんが付いており、手際よく苗の形を整えていました。秋はパンジービオラをメインに、約10種類の花壇苗の栽培に追われているのです。花を育てるにあたって、三澤さんにはある信念があると言います。

「できあがりの理想は自然に近いものです。常々思うのですが、人間って不自然なものを避けるようにできているんです」。もちろん、徒長を抑えるために矮化剤も使う。けれども、伸びやかさが失われて人工的になってしまってはいけない。三澤さんは「その微妙なバランスに気を配っている」と言います。確かに三澤さんの育てた花を見ると、野に咲く花のような野性味と可憐さが感じられます。

葉タバコ農家から花壇苗農家へ。
仲間と切磋琢磨したからこそ今がある。

パンジー
以前は葉タバコ農家をしていた三澤さん。かつて成人男性の多くはタバコを吸っており、さらに日本専売公社が買い上げていたため作れば作るだけ売り上げになりました。その流れが変わったのが1985年。タバコの専売が廃止されたのに伴い、専売公社は民営化されました。時を同じくして世界的な禁煙ブームが日本にも襲来。当時30歳、将来の見通しが立たなくなった三澤さんは大きな決断を下しました。

「一生懸命作っていましたが、タバコは嫌がる人も増えていました。だけど、花は綺麗でみんなを幸せにしてくれるものですよね。そこに惹かれました。不安もありましたが、思い切って花の世界に飛び込みました」。

ちょうど同じ頃、葉タバコから花壇苗に切り替えたのが前述の浜田さんでした。「互いに切磋琢磨して質を高めていきました」と三澤さん。「昔に限らず、今だって仲間でありながらライバルです」と現在進行形で切磋琢磨し続けている向上心の強さが印象的でした。


続けてきて見えた逆転の仕事術。
死ぬまで続けて極めたい。

三澤さん
仕事をするなかで、三澤さんには心掛けていることがあると言います。それは、「見えないものを想像して先手を打つこと」。

「雨が降ったらどうなる、風が吹いたらどうなる、気温が下がらなかったら、もし土に問題があったら…。こうしたもしものケースをいくつも事前にシミュレーションするんです。そして、問題が発生する前に先に手を打つ。起きてしまって目の前に出てきた問題を解決することももちろん大事ですが、問題そのものが起きないようにすること。これが究極の仕事だと思っています」。

花壇苗を始めて30年になるものの、自分の納得できるものができるとこの上なく嬉しいと三澤さんは言います。「花は美的な感性で判断されるものですから、お客さんに直接“いい苗ですね”と言われるまでは安心できない部分があります。今も、市場から注文があるってことは認められているって考えていいのかな?と考えたりもします」。そのうえで、こう続けます。「でも、自分の理想とする自然に近い凛とした元気な花ができると、その時点でやりがいを感じます。このいい苗をお客さんに届けたいなって思うんです」。

三澤さんの口からは「極めたい」という言葉が出てきます。「それなりに長いことやっていますが、まだまだ極められない。死ぬまで続けていつかは極めたいですね」、そう意気込む三澤さんの目は真剣でした。


いかがでしたでしょうか?大山町には個性豊かな花壇苗生産者がたくさんいます。彼らが手掛ける花壇苗をご自宅に取り入れたら、きっと毎日に彩りを与えてくれるはず。季節ごとにぜひチェックしてみてください。

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