大山恵みの里公社

大山の恵まれた風土の下に産まれる、作り手のこだわりと温もりがぎゅっと詰まった安心・安全の地元産 。 大山恵みの里公社は地元の思いと愛情を繋ぎます。

【米】 金田 昇さん

金田さん

手探りで始めた有機米づくり
“異端児”扱いをはねのけ、情熱注いだ20年

秋晴れの青い空、大山の爽やかな風を受けてゆっくりと回る風車。
その周囲を見渡すと黄金色の稲穂が実る田園がどこまでも広がっています。
実はこの場所こそが、有機米づくりを営む金田さんのほ場にして、その人生を捧げた舞台。

20数年前、3.5アールから始まった耕作面積は、今や約20倍の7.8ヘクタールという広大な規模となり、年間約30トンの収穫米は、その美味しさから予約だけでほぼ完売という人気ぶり。こう聞くと、一見順風満帆のようにも思える有機米づくり。ただこれまでの道のりは決して平坦なものではなく、その裏側には様々な非難、そして孤独な戦いがありました。

脱サラ後、農業の道へ
苦難の末勝ち取ったブランド米への切符

有機JAS認定子どものアトピーに悩む友人の無農薬、無化学肥料の米を求める切実な声を聞いて一念発起。勤めていた旧国鉄を退社して帰郷、「以前からやりたい」と考えていた農業の道へと飛び込んだのは、今から20年以上も前の40代の頃。
当時、有機栽培はまだ目新しかったせいか周囲の風当たりはきつく、「最初は周囲のほとんどに否定されてね」という日々が続きます。
それでも、持ち前のバイタリティーと情熱で肥料や除草、病害虫についての勉強や研究を重ね、10数年後となる平成11年、「中山オーガニック倶楽部」(平成16年に「大山オーガニック倶楽部」に改定)を起ち上げ本格的な生産を開始し、翌年には有機ブランドの証しでもある「有機JAS認定」を取得。

異端児から革命児へ
地元米の価値を上げたパイオニアの一人に

パイオニアの一人 その味が評判を呼び需要も拡大することで、ほ場は徐々に拡大され、生産品種もコシヒカリ、餅米、黒米、赤米、山田錦、ハイイブキと豊富に。また、稲作にとどまらず、紫芋、大豆、落花生といったさまざまな作物も手がけるようにもなりました。
現在、倶楽部には4農家が所属。
それは、ある意味誰もが安心して食べることができ地球にも優しい生産スタイル、互いに協力し合い、自らも楽しんでものづくりをしようという金田さんのスタンスが次第に受け入れられてきた証しでもあるのです。

金田さんのこだわりは「」にあります。
化学肥料を使わない有機栽培は土が栄養不足になりがちですが、知り合いの業者から譲り受けた大豆かすや米ぬか、油かす、魚かすなどで有機肥料を自家精製し、丁寧に土づくり。自然な肥料を活用することで土の栄養を補填。そこに、「水・空気・太陽と、最高の自然環境」と金田さんが讃える大山の恵みが降りそそぎ、米の一粒一粒にギューッと吸収されていく。
つまり、あの黄金色の稲穂には大山の自然と金田さんの情熱がたっぷりと詰まっているというわけです。

ハイテク技術も続々導入。
職人の手作業と最新の機器、新旧の技が築く名米への道

無農薬ゆえ 無農薬ゆえ、雑草も生えるし虫にも食われることもあります。
従来の生産方法と比べると収穫量は7割程度に減ってしまう上、手間もかかります。
数々のハードルが立ちはだかるも、そこは勉強熱心で負けん気の強い金田さんのこと。
毎日の草刈も懸命に頑張り、害虫たちは、オタマジャクシなどの自然の生き物を味方につけて駆除。
また、県の助成制度を調べコンバインやトラクターを半額で購入したり、ボカシ肥料の製造機や米を選別する色彩選別機などのハイテク機器をすかさず取り入れるなどして、次々と立ちはだかる障害も克服し、生産効率を上げるための工夫にも着手。ありのままの自然の原理を活用する一方で、現代のハイテク機器も積極的に導入する柔軟な思考が今の金田さんを支えているかもしれません。

農業に第二の人生を賭け、見事「有機」という名前を定着させた金田さん。
県外に住む息子さんも「故郷に帰り、いずれは農業をしたい」と言っているそうで、一緒にできることを楽しみにしているそうです。

依頼があれば、農業や有機栽培を志す人たちの指導に出かけることも。
その真っ直ぐな性格ゆえぶつかることもありますが、「今、農業にはビジネスチャンスがいっぱいある」とお互い刺激し合い、さらなるパワーを蓄えているとか。
体にベストで、なおかつ美味しい」有機米づくりを目指して、金田さんの情熱はまだまだ冷めそうにありません。

ブログ(外部リンク) 安心安全な有機米作り
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